JC はやし隊

青森ねぶたの歴史について


 青森ねぶたの歴史で以前は、坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征討(えみしせいとう)をする際に、 敵を油断させるために大きな蟷螂を使い笛や太鼓で囃し立てたことを由来としていました。ですが歴史上で、 蝦夷征討の第3期は789年から803年にかけて行われており、史実として日本後紀に記されていたわけではありません。
 青森ねぶた祭りでは、1962年にその年の最も優秀であった団体に「田村麿賞」を制定していましたが、 先ほどの話もあり現在では「ねぶた大賞」と名称変更をしています。
 ねぶたの起源に関しては、諸説さまざまありますが、現在最も主流として考えているものは、 全国にも多くある灯篭(とうろう)流しが、原型と考えられています。実際に現在の青森ねぶた祭りでも、 最終日の7日には海上運行と称してねぶたを流しています。(大きな船に乗せて流すのですが…)
 そこから考えると、青森ねぶた祭りの元々の意味合いも灯篭流しと同じように穢(けが)れを流す禊(みそぎ)のようなもの、 または鎮魂(ちんこん)のようなものと推察できます。

青森ねぶたの原型


 青森ねぶた祭りが、記録上一番古いのは1716年に青森の油川で行われたというものです。 当時のねぶたは、担ぎねぶたでした。その後、人形ねぶたが作られるようになり、ねぶたが大型化していきました。 明治時代に入ると担ぎねぶたもかなり巨大化して、浜町のねぶた「宝船」は20メートルの高さを誇っていました。
 まるで現在の五所川原立佞武多のような山車が、すでにあったということです。また、明治時代には、 ねぶたの運行そのものが度々禁止されていたようです。戦時中も中止をしていましたが、1947年にはねぶたが 再開されました。 その後は、ねぶた祭りは企業が主体となり観光の側面がかなり強くなってきました。 1958年には国鉄の東北三大祭に指定され1963年には青森ねぶた祭りは、青森市文化財に指定されました。 その後1980年に国の重要無形民俗文化財に指定され現在に至っています。

青森ねぶたの運行方式


 青森ねぶたの運行は、もともと「吹き流し」といわれてねぶたが一台ずつスタート地点から出発しいく方式で、 青森市内の主要道路である国道と新町通りを主体に運行してきました。
しかし、1986年ころからカラス族といわれる若者たちが、ハネトの正装の衣装ではなく黒装束や白装束などで祭りに 参加し、次第に悪質また凶悪な集団化となり、2000年には1万人を超えエスカレートした結果、2001年より運行形態を、 一斉スタート、一斉終了という運行スタイルとなり現在に至っています。 そんな取り組みもあり、現在はだいぶ治安が良くなり、多くのねぶた関係者は、昔ながらの「吹き流し」での運行の 再開を期待しています。

歴代会長

初代会長

初代会長 和田 勉

1990.5~1999.4
在任期間9年

第二代会長

第二代会長 澤田 清史(故)

1999.5~2003.4
在任期間4年

第三代会長

第三代会長 柿崎 隆昭

2003.5~2007.4
在任期間4年

第四代会長

第四代会長 直井 信行

2007.5~2009.4
在任期間2年

現会長

現会長 柳谷 秀康

2009.5~

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